おもち

2021/1/14

昔住んでいた家では、毎年年末に餅をついていた。小屋の外にコンロを置き、薪をくべて餅米を蒸す。その間に杵と臼が待機して、今か今かと蒸し上がるのを待つ。寒いけれど、炎のあたたかさがあり、その後の美味しい餅のことを思うと、家の中になんていられない。ツルツルになった餅がペッタンペッタンとつかれていく。自分でもやってみるが、杵が重くてうまくつけない。結局足手まといになるだけで、横でじっと様子を見ていた。できあがった餅は、まず必ずおろしもちになった。その後、きなこもち、あれば黒蜜、醤油もちになって、私たちがホクホクと食べている横で、祖母たちはひたすらに餅を丸め、鏡餅を拵え、これで年が越せるといった顔つきで安堵するのだった。できあがった餅は、片栗粉の衣を纏い「モロベタ」に並べられて行く。中には、いつの間にか豆がまぶされたかき餅になる奴も混ざっていて、早く食べたいと思う。それがいつしか、自動餅つき器に変わった。高校の頃まで、元気だった祖父、祖母、親戚のばあちゃん達が寄り添って作っていた。その時の写真を見る度に、ああ、この時のおもちはもう食べられないのだな、と思う。同時に、自分でも作れるかな?と思うけれど、思うだけなのである。