百日紅

2021/1/2

友人で作家である上田聡子さんから「これはきっと今のみきよさんに合うと思う」と言ってお年賀の贈り物をもらった。杉浦日向子の『百日紅』である。昨年、突然のように漫画を描き始めた私だったが、上田さんには知り合ってまもなく、まだ形にもならないところからずっと壁打ちのように見てもらっていた。『百日紅』に描かれるその筆を見ながら、悶々と抱えていたものが晴れていくような快感を覚えた。鉄蔵、お栄、善次郎、国直。線の一つ一つのなまめかしさと厳しさと粋、全てを語らない台詞、品よくこだまするように進んでいくコマたちに、私はあっという間に虜になってしまった。

あ、そういえば。以前、東京に行った時、銀座の無印良品で杉浦日向子の本を買ったなぁと思い出した。夫への土産のつもりだったのだけど、すっかり忘れていた。漫画を読んだこともなかったのに、なんとなくそれを選んでいたのだった。彼女は「江戸」に生きた人だった。時空を超えて、魂はそこにあったのだろう。私に東京で彼女の本を買わせたのも、もしかしたらそう言うものに引っ張られたのかもしれない。

『百日紅』のタイトルは、加賀千代女の句「散れば咲き 散れば咲きして 百日紅」から由来するという。私の実家の近くにも時期がくると真っ赤に咲き乱れる百日紅の大木がある。上にも下にも真っ赤になるので、ずいぶんギラギラしたもんだと思っていた。その「長いお祭り」を北斎という天才の人生に重ねたものだったが、それは彼女自身にも重なるのではないか、そして、創り続けようとする私たちにも。

そう思った時、絵が下手だからとかあの人の方が良い作品だとか唸っているような時間や、誰かの作品をこき下ろすようなことはとんでもなくもったいなくて、躊躇なんかしていられないのだと小さなあかりが灯った。

これからも良き作品に出会い、描き、落とし続ける。それだけなんだなぁ。